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青山ミチ

昭和歌謡_其の六十二

【ダイナマイト級】ボイスの歌姫たち(前編)

『叱らないで』青山ミチ

ダイナマイト級

前回のコラムに取り上げた、弘田三枝子は、愛称MIKO(ミコまたたミーコ)とともに、もう1つ、そのダイナマイト級な唄声、迫力満点な歌唱力を讃えて、【ダイナマイト娘】の愛称でも、世間に親しまれました。

この【ダイナマイト】は、本家・アメリカに、ブレンダ・リーという、世界的に超売れた!! 大人気ポップス歌手がおりまして、彼女がわずか13歳当時に吹き込んだ楽曲、『ダイナマイト』(1957年発売)に由来するのですが……。

ブレンダは、4フィート9インチ(約145cm)の小柄な体付き、かつ、じつに可愛らしい顔立ちでしてね。その少女が、いざ唄い始めると、想像もつかぬほど強烈にパンチの効いた〝シャウト〟ボイスで、エナジー全開!! あまりにパワフルすぎる、圧倒的な歌唱力に、【リトル・ミス・ダイナマイト】の異名を取りました。

その人気は日本でも絶大だったこともあってか、ミーコは和製ブレンダ扱いされたようで、弘田三枝子=【ダイナマイト娘】というニックネームが付けられた……んだとか。

ミーコは、1961年、14歳の時に『子供ぢゃないの』、翌年『ヴェケーション』、ともに洋楽のカバーを大ヒットさせて、新人歌手、それも中学生ながら、一気にスター芸能人に昇りつめたのですが、

当時、【ダイナマイト級】な歌声を武器に、歌謡界でブイブイ存在感を〝見せつけて〟くれたのは、弘田三枝子だけでは、ありませんでした。

青山ミチ、そして朱里エイコ。……加えて、活躍しだした時期が遅かったので、世代は〝ひと回り上〟になりましょうが、坂本スミ子。さらにもう1人、うっかり、名前を失念すりゃあ、思いっきりドヤサれそうな、〝ゴッド姉ちゃん〟こと和田アキ子。彼女は逆に、デビューが〝ちょいと後〟になりますね。

楽曲のジャンル自体は、微妙? いや、かなり? 異なるものの、歌唱時のパンチ力、破壊力という意味において、まさに【ダイナマイト級】である、当時の若手歌手は、各レコード会社に1人ずつぐらい、実在しました。

あー、あの青山ミチ

中でも、トップ級だったのは、青山ミチでしょう。彼女の名前を眺めて、「あー、あの犯罪者!!」と、すぐにピンと来る方は、おそらく私たち世代より上、つまり現在、還暦以上の皆さんじゃないですかね。

昭和24年生まれ、横浜出身。横須賀にある米軍基地に駐留の、白人兵士に惚れた、日本人女性との間に生まれたのが、彼女です。

昭和36年、まだ小学6年生ながら、横浜のジャズ喫茶「テネシー」主催の、「素人ジャズコンテスト」に出場して、入賞!!ポリドール・レコード(現・ユニバーサル ミュージック)のプロデューサーの目に留まり、翌年の10月1日(13歳)に、『ひとりぼっちで想うこと』(作詞:水島哲/作曲:中島安敏)でデビューします。

この楽曲は、正直さほど話題になりませんでしたが、B面に吹き込んだ、カバー曲の『ヴァケーション』が、弘田三枝子などとの共作ながら、けっこう売れたことで、横浜在住、無名のハーフの中学1年生は、通称〝ミッチー〟で人気を博す、スター歌手へとブレイクするのです。

前回のコラムで話題にした、弘田三枝子の『ヴァケーション』は、彼女が15歳時の歌唱です。こちらは13歳。今時は、You Tubeで検索すれば、2人の歌声が簡単に比較できます。ミッチーの声質は、野太く〝ドス〟が効いているんですね。

特に、サビの部分の ♪~寒さな~んか 忘~れ 滑(すべ)るの GO GO GO GO~♪ は、歌声がこちらのお腹にガンガン響きます。まだ若い分、音程がフラットする(低くなる)癖が強いですが、中1で、この声量を発揮できるなんて、いやぁ、確かに!! 明らかに!! 尋常じゃありません!!

当時の音楽関係者は、きっとミッチーの将来に、大いに期待を寄せ、さまざまな皮算用を目論んだはずです。一方のミーコの歌声は、2つ年上なこともあってか、音程が安定しています。「丁寧に唄っている」印象ですね。その分、声量が【ダイナマイト級】であることは間違いないものの、ミッチーに比べると、やや劣るような……。

『ヴァケーション』の翌年(昭和38年)には、自分の愛称をタイトルに付けた『ミッチー音頭』を発売し、これが大ヒット!!昭和40年には、エミー・ジャクソンのデビュー曲、『涙の太陽』(作詞:R. H. Rivers(湯川れい子)/作曲:中島安敏)をカバーし、これも大ヒットします。

以上、ここまでの経歴は、あまりに見事なサクセス・ストーリーですね。まだ「16歳になったばかり」のはずのミッチーは、その〝風格ある〟歌声も相まって、すっかりトップ級の歌手に【祭り上げられて】しまった……んじゃないでしょうかね。

年頃でいえば「遊びたい盛り」。なのに1年365日、朝から晩まで仕事漬けの毎日。寝るヒマもないほど忙しくて、つい……魔が差してしまった!?

昭和41年11月、新曲『風吹く丘で』(作詞:橋本淳/作曲:すぎやまこういち)を発売した、まさに、その数日後、覚醒剤所持の罪で逮捕されてしまいます。17歳で覚醒剤逮捕!! ですよ~。実際、何があったか知りませんが、その年齢で、すでに私生活は、どうしょうもないほど荒(すさ)んでいたのかも? しれません。

まぁ、どちらにせよ、これがミッチーの、1発めの〝転落〟です。この楽曲は発禁&回収処分になりましたが、2年後、ヴィレッジ・シンガーズが、あくまで新曲として、タイトルを『亜麻色の髪の乙女』(昭和43年2月25日発売)に変えて、レコーディングされました。

昭和49年3月に、今度は万引きの現行犯で逮捕!! 以降、覚醒剤&窃盗ほか、逮捕歴は数しれず、〝転落〟に次ぐ〝転落〟……。完全に芸能界を追放され、その後の行方は、まったく不明になりました。

──とは言うものの、時代がまだ良かったのでしょう。令和2年の芸能界では考えられないことですが、昭和50年9月25日に、まさに当時のミッチーの本音の心境を、そのまま歌詞にリアルに描いた風な、ブルース調の楽曲『叱らないで』(作詞:星野哲郎/作曲:小杉仁三)が発売されました。

♪~あの娘がこんなに なったのは
あの娘ばかりの 罪じゃない
どうぞ あの娘を 叱らないで
女ひとりで 生きてきた
ひとにゃ話せぬ 傷もある
叱らないで 叱らないで
マリヤさま~♪

演歌の巨匠、星野哲郎先生が書いた内容は、「罪人を擁護している」とも、「本人の開き直り」とも、取れないことはありませんので、今時なら、ネット炎上必至でしょうけれど。

まぁ、……それはそうとして、この楽曲は、意外に売れましたので、【この時点】で、私生活をガラリと変える覚悟と努力を自分に課せば、まだ芸能界に【生き残れる】ギリギリのチャンスは、彼女に用意されていたはず!! ですがね。

時代は21世紀に突入し、民放のTV番組『あの人は今!?』の中で、久方ぶりにTV画面に映し出された〝元ミッチー〟は、娘と2人、生活保護を受けながら暮らしておりました。

嗚呼、……正直、観たくなかった!! 13歳で『ヴァケーション』を熱唱した、青山ミチの面影は、当然ながらどこにもなく、芸能人であった過去さえ、とっくに忘れてしまったがごとくの、さもしいばかりの日常風景。その、あくまで断片が、全国の視聴者に〝覗き見〟されただけのことです。悪趣味以外のナニモノでもありません。

そして今から3年前の1月、『あの人は今!?』放映と同じ局の、ニュース番組に、ミッチーの訃報が流れました。

「ミッチーの愛称で親しまれ、『叱らないで』などのヒット曲を持つ、歌手の青山ミチさん、67歳が、亡くなっていたことが、当局のスタッフの取材でわかりました。死因は急性肺炎だそうです。青山さんのご冥福をお祈り申し上げます」

……合掌。

さて、もう1人の【ダイナマイト級】ボイスの歌手、『北国行きで』が大ヒットした、朱里エイコの〝光と陰〟について──。次回のコラムに回します。

勝沼紳一 Shinichi Katsunuma

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