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笠置シヅ子

昭和歌謡_其の四十四

「早口言葉」歌謡曲(前編)

『買い物ブギー』

先日、久しぶりに寄席で落語が聴きたくなりまして、新宿「末廣亭」の昼の部の客席に、潜り込みました。

私が寄席に行く時は、たいがい、大トリ(※その公演の、一番最後に演じる噺家)を誰が務めるか? かくまで、その演者目当てなのですが、この日は、まったくの不見転(みずてん)。ふらりフラフラの行き当たりバッタリでしたから、「末廣亭」に着いて初めて、ああ、今日のトリは、こぶ平、もとい、今や落語協会の大幹部の1人、かつ林家一門の〝総帥〟とも言うべき九代目・林家正蔵師匠が務めるのかぁ、と、さして興味のない心持ちではありました。

興味のない、と記しましたが、じつは私、何を隠そう、正蔵が演じる落語のファンの1人だったりします。ネットに書き込まれた〝落語通〟を気取る連中の多くは、彼の落語を「下手糞!!」と断じますけれど、たいがい、そういう輩は、師匠の落語を一度だって〝ちゃんと〟聴いたこたぁ、ねぇンでげすな(と、昭和の大名人、黒門町の師匠こと八代目・桂文楽の口跡を真似てみました)。

正蔵は現在、56歳。偶然にも私と同い年です。そりゃあ、まぁね、〝この歳〟の古今亭志ん朝や立川談志の芸と比べちまえば、ねぇ(笑)。と言いますか、そもそも比べること自体が野暮なわけで……。

師匠は師匠なりに、林家の大名跡(彼の祖父チャンが八代目)を継ぐと決意して以降、林家にはロクな噺家がいませんから(笑)、さまざまな演目の稽古を付けてもらうため、別門下の、その演目を十八番とするベテランたちに、ていねいに筋を通し、そりゃあ特訓に次ぐ特訓、並みの努力じゃあなかったと思いますよ。

結果、彼は「歴代の正蔵の名に恥じない」噺家たるべく、自分の適性をみごとに認知し、どう転んでも「上手かねぇ」艶っぽいエロっぽい演目は、まず演(や)らない!!『大工調べ』や『たがや』のごとく、威勢のイイ江戸っ子口調で、まさに立て板に水、ポンポンポン……と、まくしたてなきゃならない演目も、演らない!!

じゃあ、何を演るのか? 『鹿政談』や『三方一両損』などの、名奉行・大岡越前のお裁きが見モノの演目や、『子別れ』や『井戸の茶碗』などの人情噺……は、今や、彼の十八番であり、私は「お見事!!」と評しているのですがね。

そんな正蔵の弟子の1人が、この日、『金明竹(きんめいちく)』を高座に掛けていました。これは、大学の落語研究会、通称「落研」の学生たちや、噺家になって月日の浅い諸君が、口慣らしを兼ねて披露する機会が多い演目で、噺の中に、品物の名前を「早口言葉」で、それも上方言葉(関西弁)でしゃべりまくる場面が何度も出てくるんですね。そこがまた、この噺の最大の〝売り〟になります。

主人が留守をしている骨董屋に、上方言葉を「やたら早口に」しゃべる商人(あきんど)が訪ねてきます。留守番を任された小僧が応対するのですが、江戸っ子の彼には、目の前のオッサンが、何をしゃべっているのか? チンプンカンプンで、失礼にもゲラゲラ笑いだしちゃいます。

「わてはな、中橋の加賀屋佐吉方から使いに参じまして、先度、仲買の弥市が取り次ぎました、道具七品(ななしな)のうち、祐乗(ゆうじょ)・光乗(こうじょ)・宗乗(そうじょ)三作の三所物(みところもん)。横谷宗珉(よこやそうみん)、四分一ごしらえ、小柄(こづか)付きの脇差……、中身が備前長船(おさふね)の住、則光(のりみつ)で、柄前(つかまえ)が、旦那はんは「タガヤさん」や言うとりましたが、あれは「埋もれ木」やそうで、木ィが違うとりましたさかい、ちょいとお断り申し上げます。

ならびに黄檗山(おうばくさん)金明竹、寸胴(ずんどう)切りの花活けには、遠州宗甫の銘がございましてな。織部の香合(こうごう)、のんこの茶碗、『古池や蛙飛びこむ水の音』申します、風羅坊正筆(ふうらぼうしょうひつ)の掛物。沢庵・木庵・隠元禅師、貼り混ぜの小屏風……、あの屏風なぁ、わての旦那の檀那寺が兵庫におまして、兵庫の坊(ぼん)さんの、えろう好みます屏風じゃによって、『表具にやって、兵庫の坊主の屏風にいたします』と、……こない、おことづけを願いとう申します」

コレですねぇ、文字に書き表していますから、皆さん、なんとな~く意味が解りそうな気もするでしょうが、音で聴いてごらんなさい。骨董屋の小僧でなくても、思わず噴き出しちゃうでしょ?

しかも最初の1発目は、それでもゆっくりしゃべってみせるのですが、理解されないとわかり、二度、三度と、同じ台詞を繰り返させられるので、苛立ちもつのり、次第に口調も早くなります。最後の1回は、猛烈なスピードでまくしたてた挙げ句、「ほな、さいなら」と帰ってしまうのですが……。

古典落語の用語で、このような、まさに早口言葉のごとく、名前やら品物やら地名やらを、ずらずら並べまくる場面を「言い立て」と称します。

皆さんもご存知でしょう『寿限無(じゅげむ)』もそうですし、古今亭志ん生が十八番にしていた『黄金餅』もそうです。後者は、死んだ乞食坊主を火葬するため、遺体を担いだ一行が、下谷山崎町を出発し、麻布絶口釜無村(あざぶぜっこうかまなしむら)の木蓮(もくれん)寺に至る、その道中の主要な地名を、早口で紹介するのが〝売り〟です。

この場面を演じ終わると、志ん生師匠は、「木蓮寺に着いた時ぁ、みんな大層くたびれた。あたしも大層くたびれた」と、本当にくたびれた風に話すと、客席がドッと受けました。

さて、この辺りから、そろそろ歌謡曲の話に入ります。昭和歌謡の大ヒット曲の中にも、落語の「言い立て」同様、「早口言葉」さながらの楽曲が、いくつかあります。

買い物ブギー

今回ご紹介したいのは、『金明竹』に登場の商人と同じく、関西弁のオバチャンの〝しゃべくり〟が、そのまま歌詞として成立しているという、稀有な例……笠置シヅ子が歌唱の『買い物ブギー』(昭和25年6月15日発売/作詞:村雨まさを/作曲:服部良一)です。

これを作曲した服部良一大先生は、日本の歌謡曲の世界に、まだ戦前の世相のうちから、本格的に洒落たジャズのリズム&メロディを持ち込んだ、まさにパイオニア!! 昭和の音楽ビジネスの歴史において、「神降臨」とも言うべき存在ですね。

作詞をした「村雨まさを」は、服部良一の別名だそうで。つまり『買い物ブギー』は、服部作品には珍しい、みずから作詞も手掛けた楽曲です。落語好きな大先生は、上方落語の有名な演目、『無い物(もん)買い』に出てくる言葉遊び(言い立て)の面白さを、そのまま流行歌の歌詞に仕立ててみたくなったんですね。

その想いがつのり、他の作詞家に頼んでいるヒマに、自分で書いてしまいました。ところが、全編の長さが5分以上にもなって、当時のSPレコード1枚に収まらなくなり……。急きょ、短縮版にアレンジし直して、レコーディングを済ませたそうです。

♪~何はともあれ 買い物はじめに 魚屋さんへと飛び込んだ
 鯛に平目に カツオにマグロに ブリにサバ
 魚は取りたて 飛びきり上等 買いなはれ
  (中略)
 鳥貝赤貝 タコにイカ 海老に穴子に キスにシャコ
 わさびを効かせて お寿司にしたなら
 なんぼか美味しかろ なんぼか美味しかろ~♪

♪~ちょうど隣は八百屋さん
 人参大根 ごぼうに蓮根 ポパイのお好きなほうれん草
 トマトにキャベツに白菜に 胡瓜に白瓜 ボケナス南瓜に
 東京ネギネギ ブギウギ ボタンとリボンとポンカンと
 マッチにサイダー タバコに仁丹
 ヤヤコシヤヤコシ ヤヤコシヤヤコシ 嗚呼ヤヤコシ
 ちょっとオッサン これナンボ オッサンいますか これナンボ
 オッサンオッサン これなんぼ オッサンなんぼで なんぼがオッサン
 オッサンオッサン オッサンオッサン オッサンオッサン
 わしゃ××で聴こえまへん
 わてホンマによう云わんわ わてホンマによう云わんわ~♪

この楽曲が爆発的に流行ったのは、敗戦から5年しか経たぬ昭和25年です。レコードは、累計45万枚以上も売り上げました。

こうして、あらためて歌詞を眺めてみると、この楽曲、作曲した大先生は、ジャズバンドが興じるジャムセッションとやらを、当時……敗戦後の、まだ復興ドサクサの渦中において、歌謡曲のジャンルで「やってみたい!!」と思ったのでしょう。笠置の「オッサンオッサン……」の呼びかけに、オッサンは返事をせず、代わりに楽団の演奏が、ジャジャジャジャジャ……と応える。「オッサン」ジャジャジャ……、「オッサン」ジャジャジャ……、その繰り返し。

今時の若い世代の感覚では、ラップと称した方が〝しっくり〟来るかも? しれません。とにかく時代はまだ、昭和25年ですよ~。この年に大ヒットした歌謡曲は、伊藤久男の『イヨマンテの夜』(作詞:菊田一夫/作曲:古関裕而)、林伊佐緒の『ダンスパーティーの夜』(作詞:和田隆夫/作曲:林伊佐緒)、三条町子の『かりそめの恋』(作詞:高橋掬太郎/作曲:飯田三郎)ほか、です。いかに『買い物ブギー』が、流行歌として異質、加えてブットビなまでに斬新か、おわかりになるでしょう。

ちっとも返事をしないオッサンは、じつは【××】で「耳が聴こえまへん」という落ちまで付いて、さすが、この楽曲のアイデアを、落語から拾っただけのことがあります。ちなみに、レコーディングされた音源には、【××】の部分に、現在では放送禁止用語の、【つ】から始まる3文字が入ります。

勝沼紳一 Shinichi Katsunuma

 

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